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2008年05月01日

日本型経営

企業システムの転換期
※宮島(2008)による分類
(1)戦前期(20世紀初〜1930年)
(2)戦時・戦後改革(1937〜1955年)
日本型システムの原形が形成
(3)高度成長から石油ショック後の調整期(1955〜1985年)
日本型システムの進化
(4)バブル期(1985年〜現)
日本型システムの機能転換/第二の転換点

高度成長期以後・・・<参考 宮島(2008)>
(1)株式相互持合の進展とその影響
(2)メインバンク中心の規律
情報の非対称性に起因する過少投資問題の緩和
業績悪化時の経営への直接介入とメンバンク主導の経営再建
(3)従業員を中心とした経営
ランクを通じた昇進競争によるインセンティブ提供
企業特殊的な熟練を促進

(1)(2)(3)→制度補完的に機能
成長・拡大志向、長期的視点での経営、倒産リスクの低下

<日本企業システムの第2の転換点;参考 宮島(2008)>
・97年以後
・市場ベ-スの金融と関係ベ-スの雇用の結合
・共存?

・企業システムの分化(金融改革、ICT改革)
(1)日本型のOverhaul(市場ベ-スの金融と関係ベ-スの内部組織)
(2)米国型(市場ベ-スの金融と契約ベ-スの内部関係)

<M&Aの急増>
※参考:蟻川靖浩・宮島英昭(2004)
1990 年代には500 件程度で推移
2000 年以降大幅に増加
2004 年には2,211 件

・上場廃止と新規企業
IT化ー新産業の拡大、伝統産業の後退
・シナジ-の実現、事業再組織化
・経営の規律(敵対的買収)
・構造調整の速度は遅い

・日本型企業システムの形成
(1)戦後改革
「日本型企業システム」の原形が完成
(安定株主、密接な企業・銀行間関係、内部昇進者中心の経営組織)


(1)戦後改革
戦前:個人大株主中心の統治構造(財閥・創業者・個人株主などが企業経営を支配・実効的支配、effective control)
戦時:国家統制の強化(株主権の一部制限・配当規制など)、民需産業から軍需産業へ
戦前:資金調達は多様で内部資金・直接金融が中心
戦時:直接金融から間接金融へのシフト

戦後改革;戦後改革と復興:民需産業への再転換
・企業の再建過程で銀行関与が拡大
・財閥解体に伴う株主の分散化:個人株主が急増
フリーライダー問題、近視眼的経営(myopia)が顕在化
・財界追放による内部昇進者(従業員)中心の経営組織へ
メインバンク、持合による株主安定化の萌芽
・国富の喪失・植民地の喪失=在外資産の喪失
・戦後インフレ-ション;なぜ起きたか=供給不足
・需要サイド=流動性の解放;復員・統制の解除
戦災・軍需清算への傾斜・貿易の途絶

・時期
45-47:インフレと縮小再生産=非軍事化・経済民主化(アメリカ化)
48-49年3月:回復とインフレ沈静=占領政策の転換
ドッジライン(1949.4)−朝鮮戦争(52.7):朝鮮戦争後の調整(52-55)=講和(政策選択の自由度の回復・占領政策の見直し)

・財閥解体
戦前の構造(大株主の優位)
GHQの構想:民主的なガバナンス、証券市場を通じた資金調達所有権
所有権の再配分=大資産家の解体(財産税の徴収)
・財閥解体
持株会社の解体
株式の強制譲渡と再配分
財界追放、
制度のアメリカ化=証券取引法、企業会計原則、独占禁止法

・便益とコスト
財閥:安定株主(モニター)・保守経営
解体後:分散した株主・専門経営者

※1940年体制について<武田(2004)より引用>

この議論は、食糧管理制度や税制、巨大化した官僚制度な どを、経営者資本主義的な企業システム、産業報国会に代 表される企業別の労働組織、軍需会社指定金融機関制度 による銀行取引(メインバンクシステム)などを挙げて、戦後へ の連続性を強調する。
しかし、財閥解体、独占禁止法の制定などの戦後改革の意 義をどのように評価するのかに問題を残している。

例えば、メインバンク制度の起源とされる軍需会社指定金融 機関制度は、
@一社一行という関係であり、貸し手の側が協調融資となる 戦後のメインバンクとは形態的に大きな差があり、
A銀行が軍需関係の融資を事実上無審査で、命令のままに 実行していたことから見ると、メインバンクの審査能力はシス テムの要件としては意味を持っていなかったというような違 いがある。
戦時体制がもつ、ある種の合理性は、戦後の経済発展の基 礎になった可能性はあるが、それを一面的に強調するのは 疑問。

・金融制度改革
帝国銀行=第一・三井銀行再分割
金融における解体は軽微
コ−ポレ−ト・ガバナンスの変化=積極的貸出方針
・アメリカ型のコ−ポレ−ト・ガバナンス・企業金融の創出の可能性
=事前の審査・投資銀行
=期中の審査・市中銀行
=事後の審査・M&Amarket

・ド=ラインと朝鮮戦争
戦後の企業・銀行関係、株式相互持合いの形成

・ドッジラインのショック

1)株価の低下−乗っ取りの危機・証券市場での資金調達の困難
2)株式相互持ち合いの開始
3)銀行による資金供給と長期資金供給体制の整備-メインバンク関係

※49年以降、株式所有構造において[金融機関]/[金融機関+事業法人等]が増大
外国人 89年以降増大

※武田(2004)より引用
持株会社整理委員会に集められ株式は、証券処 理調整協議会を通して、従業員、地域住民などを 優先して売却処理された。その結果、1949年には個人の保有比率が急速に 高まり、所有の分散が進んだが、これは一時的な現象にとどまり、50年代前半には 法人の保有比率が増加した。特に証券会社などで違法な保有が発生した
市場の未成熟、個人貯蓄の不足の中での改革 に実体的な根拠がなかった


<財閥解体 武田(2004)より抜粋>

導入:45年9月 6日の「降伏後における米国の初期対日方針」
経済の非軍事化に次いで「民主主義勢力の助長」がとりあげら れ、生産や流通に関する手段の所有権を広範囲に「分配す る」ために、
「日本国の商工業の大部分を支配し来たりたる産 業上及金融上の『大企業結合』の解体計画を支持すべきこと」

占領政策の基本的なねらい:日本が再び軍国主義的な 国家としてアメリカの敵国にならないように改革すること
→過度の経済力集中を排除することが必要
ドイツの→政策

・財閥が戦争に果たした役割について は、認識のズレが示されていた
→アメリカが 要求していたのは、財閥解体によってアメリカ 的な経済制度を、理想的なものとして日本にも 移植すること
(自由な競争こそが民主 主義的な経済制度として理想的状態とする見 方は、今日に至るまでアメリカに支配的)
cf)「三菱は、国家社会に対 する不信行為は未だかって為した覚えはなく、 また軍部官僚と結んで戦争を挑発したこともな い。国策として命ずるところに従い、国民として 為すべき当然の義務に全力を尽くしたのであっ て、顧みて恥ずべき何ものもない」

企業力の巨大な集積は『定義上』反民主主 義的であり、数十万の労働者を雇い、経済の近代的部門 の全範囲をふくんでいるような企業は、自由で競争的な 企業に見いだされる価値とはまったく別の価値を代表し ないわけにはゆかない
自由で競争的な企業が民主主義的なものであり、経済力 の集中者・独占者はこれに反する存在
経済力の集中者は、富の分配の不平等をもたらすもので あり、それはコンツェルンであれ、カルテルであれ、トラス トであれ排除されるべきもの

※軍と財閥 アメリカ側
財閥が軍の暴走に批判的で抵抗を示した(とする立場もあった)
財閥が軍事生産部門へ多 額の投資を行っていること、さらに占領地において多くの 企業利潤を得ていることからみて、財閥と軍部の間に共 通の利害があると捉える方が妥
※エレノア・ハードレー『財閥解体 GHQエコノミストの回 想』(東洋経済、2004年)
「1941年から1945 年の間に経済における三大財閥の地位が倍増したこと は大きな証拠で、これだけでも彼らが本当に戦争に反対 であったと考えることは困難である。
※対日賠償使節団のポーレの 「日本の財閥は、同族としてまた法人組織とし て緊密に結合した比較的少人数のグループで あって、日本現代史を通してその金融・商工業 のみならず、その政府をも支配した最も強大な 潜在的戦争能力であった

・措置
(1)財閥の組織を解体するために、株式所有や役員派 遣などを通じた財閥の企業間の紐帯を切断すること、そのた めに組織の中心にある持株会社を解体すること、財閥家族 等の会社役員の就任を禁ずること
(2)経済力の過度の集中者と考えられる大企業を分割 し、さらに、カルテルや統制会社などの独占的な組織を解体 すること
(3)「民主主義的な」 経済制度を維持し、財閥の復活や独占の形成を防止する措 置

・持ち株会社の解体
45年10月の総司令部による「持株会社の 解体に関する覚書」
45年11月に「会社の解散の制限に関 する勅令」:る制限会社に指定 された企業等の現状の変更を制限
46年4月に「持株会社整理委員会令」を制定して持株会 社を指定
(財閥本社;有 価証券を持株会社整理委員会に委譲して解散)
(それ以外の持株会社:所有有価証券を持株会社整理 委員会に委譲し、子会社に対する支配関係を廃棄するこ とを指示されたのち、独占的な大事業会社と認められた 場合には、事業の再編成を強)
47年3月;閉鎖機関令
(戦時中の経済統制 団体は閉鎖機関に指定されて解散し、特殊清算)
→各種の産業分野で圧倒的な力を持っていた大企 業や各種の統制組織が解体され競争的な市場環境
47年7月の「商事会社の解散に関する覚書」
(三井物産は220社以上、三 菱商事は130社以上に分)
47年12月 過度経済力集中排除法
(大企業の分割・再編成)
(当初325社の広範囲に 及んだが、その後分割・再編成に関するアメリカ側の方 針が緩和され、最終的には、日本製鉄、三菱重工業、王 子製紙などの11社が企業分割、3社が工場・施設の処分、 4社が所有株式の処分という再編成指令)
48年1月の財閥同族支配力排除法

物不足による激しいインフレのため、政府による 物資の需給調整と価格統制は継続
直ちに市場経済的な枠組みに復帰し たわけではない。

・長期的展望
1)47年4月の私的独占の禁止及び公正取引の確保に関 する法律(いわゆる独占禁止法)の制定と、
独占禁止法は
財閥本社のような持株会社の設立を禁止し、
会社間の株式の所有についても制限を設ける
など、財閥型の組織の再生を予防する規定を設けた。
また、戦前のカルテル統制法規である重要産業統制法 などでは独占組織の結成を原則的に認めていたのに対 して(公益に有害と認めた場合は政策的な介入が認めら れた)、独占禁止法は
カルテル等を原則的には禁止する
2)48年6月の事業者団体令

・戦時期までに設立されていた各 種のカルテル・統制会社等は戦時統制の解除とともに原 則的には解散

(、45年10月の総司令部による「持株会社の 解体に関する覚書」)

<参考文献>

宮島(2008):『日本経済論』講義ノート(早稲田大学商学部)
川靖浩・宮島英昭(2004):「M&A の経済分析:M&A はなぜ増加したのか」
武田(2004):「現代日本経済史2004」第15回第17回 レジュメ
posted by MAK at 19:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本経済 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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